本症例は、50代男性の会社員が「舌の表面が黒くなり、口臭が強くなった」という主訴で来院した際の経過をまとめたものです。口腔内を確認したところ、舌背の中央部から後方にかけて広範囲にわたって黒褐色の着色が見られ、糸状乳頭が約2mmから3mm程度にまで伸長している典型的な黒毛舌の状態を呈していました。問診の結果、患者は1日に40本以上の紙巻きタバコを20年以上にわたって継続しており、さらに仕事中の水分補給はほぼ全てブラックコーヒーで、1日に10杯以上を摂取していることが判明しました。一方で、全身疾患の既往はなく、抗生物質等の定期的な服用も見られませんでした。本症例における黒毛舌の直接的な原因は、タバコに含まれるタールやニコチンによる色素沈着と、コーヒーに含まれるタンニンが糸状乳頭に蓄積したことによるものと推測されました。さらに、過度の喫煙が末梢血管を収縮させて唾液の分泌を抑制し、口腔内が慢性的かつ重度に乾燥していたことが、角質化した細胞の剥離を妨げ、症状を顕著にさせたと考えられます。治療方針として、まずは徹底的な動機付けを行い、禁煙の推奨とコーヒーの摂取量を1日3杯程度まで減らすよう指導しました。また、コーヒーを飲んだ後には必ず水で口をゆすぐという簡単な習慣の定着を図りました。同時に、院内でのプロフェッショナルクリーニングを実施し、伸長した糸状乳頭の間に詰まった汚れを専用の器具で優しく除去しました。治療開始から2週間後の再診時、患者の舌の黒ずみは50パーセント程度まで消失し、本人も口臭の改善を自覚するようになりました。4週間後には、喫煙量の減少と口腔ケアの徹底により、糸状乳頭の長さが正常範囲内に戻り、舌の色も健康的な淡赤色を回復しました。本症例は、薬剤の影響がない場合でも、嗜好品の過剰な摂取とそれによる口腔内環境の悪化が、顕著な黒毛舌を誘発する一例として示唆に富むものです。日常的な習慣の積み重ねが口腔粘膜の代謝に与える影響は大きく、患者自身の行動変容がいかに重要であるかを改めて浮き彫りにしました。